子育ては科学実験だ
助産院での出産記録

【初産は助産院で!出産レポ⑧】総まとめ。子どもを産んで気付いたのは《自分の無力さ》

続きです。

産後、思考がアップデートされる

無事に退院をして、まずは実家にて子育ての一歩を踏み出しました。

1ヶ月ほどが経ち、落ち着いて物事を考えられるようになってきました。(それまで暴れて考えていたわけではありません。笑)

冷静に出産を振り返ります。

出産の壮大さ、母の偉大さ、そして人生の気付きなど、頭の中にあったこれまでの人生の概念が吹き飛ばされた思いです。

それは海外一人旅をしていた時に、自分がどれだけちっぽけで狭い世界を生きてきたんだと気付かされたときと同じような吹き飛び方。

出産を経て、さらに人生の概念を覆され、思考がアップデートされました。

こうして人生経験を重ねて心の成長もしていくのだったら、経験することに無駄なことはないのかなと、そんなことも思ったりしていました。

バースプランは実行されなかったけど、後悔なし

想定外でした。

促進剤を打つなんて。

助産院で産むことばかりに執着していた私は無事に赤ちゃんが産まれた今、様々な想いが巡ります。

あのまま助産院でお産をしていれば、元気な赤ちゃんを産むことは困難で、私には促進剤に頼るしか方法はありませんでした。

何が起こるか分からない出産で、想定外という言葉は存在しないのだと思いました。

起こりうる全てが想定内。

分娩台にあがって、脚を広げての分娩。

あれ?予定では、畳の部屋で主人に掴まりながら、四つん這いで産むハズだったのに。

あれ?予定では、ヘソの緒は(産まれて)90秒経ってから主人に切ってもらうハズだったのに。

あれ?予定では、産まれてすぐ胸に乗せて初乳を済ませ、2時間くらいカンガルーケアするハズだったのに。

あれ?予定では・・・・。

私はバースプラン(どのような出産をしたいのか、自分なりの出産計画を立てること)を細かく考えていました。

しかし、病院に運ばれた時点で全て実現できないと確信。

実際、何も叶いませんでした。

妊娠中期でバースプランを助産所に提出したとき、内容を読んだ助産師さんに
「うん。赤ちゃんも母体も元気だったら問題なくできるよ。」
と言われたのが思い出されます。

でも私は考えていたバースプランが全くできなかったことに対して、後悔や残念な思いが全然出てきませんでした。

お産の辛い状況のときでも、ただただ赤ちゃんが元気でいて欲しいと心から願っていました。

その願いが叶った今、バースプランは全て《できた》と同等なんだって、そう思っています。

出産の最大の気付きは【自分の無力さ】と【感謝】

これは妊娠しているときから強く感じ始めていたことです。

それまでも、謙虚さや感謝を大切に生きてきたつもりでした。

でも、それは出産を経験した今、別物のようにそれらの質が違います。

分厚~いエゴの殻の中にあった感謝の気持ちが、殻を突き破って飛びだしてきたよう。

そんなとき、肉体が喜び、勝手に涙が溢れるもの。

幸せって、感謝することなんだ。

幸せを探して世界を飛び回ったこともあったけど、そこにあったのは幸せではなかった。

幸せって、誰もがすでに持っているもので、誰でもいつでも本当は幸せなんだ。

ただ、感謝があるのは心の奥すぎて、気付きにくく、感じにくいだけ。

それを破るのは圧倒的な衝撃体験。これだったんだ。

私はこれに気付けただけで、本当に幸せモノだって心から思っています。

また、今まで、自分が選んで、自分で決めていた(と思い込んでいた)ことは、実は

無力な私が選ばせていただいていた、決めさせていただいていた、のだと気付きました。

出産は人を巻き込み、社会を巻き込み、あらゆるものを巻き込まなければ苦しさでいっぱいになってしまいます。

そんなとき、自分の無力さをまずは認めることが子育てでは大切な要素だと痛感しました。

それは妊娠出産子育てに限らず、人が生きていくうえで《生きやすさ》の重要な資質だとも思っています。

人に頼り、人に感謝すること。

頼るためにはコミュニケーション力と内面を磨き、謙虚・素直でいること。

私は出産を通して、人生の大きな課題を見つけました。

この大きな人生の課題に私はこれからどう取り組んでいくのか、ブログを通して時々ご報告させていただけたら嬉しいです!

ようやく一人目の出産の話が終わりました。(自分でも思ったより激長かった~。笑)

近々、二人目の出産話もしていきます。

最後まで読んでくださりありがとうございました。