はじめまして
いずみーると申します。
多くのブログがある中、目に留め、ご覧いただき本当にありがとうございます。
私は、1987年(昭和62年)愛知県出身の35歳です。
2017年結婚を機に名古屋市に住むようになりました。
私の30歳の誕生日に入籍したので、
「今の自分の年齢ー30=結婚年数」は絶対に忘れないと思っていましたが、
自分の年齢が本当に分からなくなるときがあります。
主人は1982年生まれ。
現在、花の?40歳です。
28歳のときに脱サラ。
フィットネスクラブを経営し、自身もトレーナーとして指導し、12年目になりました。
3年で潰れるだろうと言われてきたのですが、全てに恵まれ、ここまでこれました。
2019年に長女、2021年に長男を出産。
3歳の娘は幼稚園の年少組で、毎日幼稚園バスで通園しています。
1歳の息子は私が24時間見守っています。
二人子育て生活はどうなるのかと想像もできませんでしたが、今は言葉の通り、毎日が【嵐のように】過ぎ去っています。
休日は子ども二人の食事と排泄対応で1日が終わることも。
日常生活では、家事育児の隙間時間を使って主人の仕事のお手伝いをしています。
って、大したことは全然していなくて
営業補助という感じでしょうか。
事務処理やチラシ作成など、できることをほんの少しやっています。
約2年間で25ヶ国を旅する
初めての一人旅は22歳。
カンボジアでした。
自分の頭の中にはない知らない世界を見せつけられて、それはそれは衝撃でした。
もっと世界を見てみたい。
それから、仕事の連休を使っては度々海外へ旅行していました。
そして3年後に当時の仕事を辞めて、
25歳〜27歳まで海外にいました。
留学?別の仕事?
いいえ、
バックパッカーです。
一時帰国を3回ほどしていますが、
トータルで約2年間。
ヨーロッパは12ヶ国を6ヶ月かけて周遊。
これまでにアジアは13ヶ国を訪問しました。
愛知県しか知らない私が、
英語を全く話せない私が、
一人で海外に出るなんて
誰も予想していなかったでしょう(^^;)
この経験は人生の何もかもを変えてくれました。
正確にいえば、この経験がダイレクトに人生を変えたのではなく、旅のご縁から生まれた出会いで人生が大きく好転しました。
自然派を意識したきっかけ
旅をしたから、今まで知らなかった日本を知ることができました。
海外で日本人旅行者とよく話していたことのひとつがコレです。
「日本を離れて、日本のことを知る」
例えば、
西ヨーロッパやモロッコなど遠く離れたところに行けば行くほど、日本のことを全く知らない人がいます。
「ん?ニホン?それは、チューゴクだよね?」
↑コレ、いろんな国で20人以上に言われました(笑)
日本の存在を知らない人がいるなんて・・・
また、こんなことも。
イタリア人の一般家庭でお世話になったとき、手持ちのノートを破り、
鶴を折り、プレゼントしました。
イタリア人のママは、もぉ~すごい驚きようです。
目をまん丸くして、言葉にならない様子。
「この紙が??!!まぁ!!※%$#%&’’&%#(イタリア語で不明)」
そんなに喜んでくれるなら100羽作ろうかなと思ったほど。
日本では鶴を折っても、人の反応は皆様ご想像のとおりですが
日本を出ればこんなにもリアションが違うものなんです。
日本の常識は世界の非常識ですね(*’▽’)
そして、次の話が自然派を意識し始めたきっかけのひとつです。
東日本大震災後には、
どのタイミングでどの国に行っても
「ニホンの原発はダイジョーブ??!」と必ず現地の方に聞かれました。
しかも、誰もが真剣な眼差しで、不安そうにです。
私はそのとき原発について日本で流れている情報しか知らなかったですし、生活をしていて緊迫感はそれほど感じていませんでした。
欧米の方々から世界にはどんな情報が流れているのか話を聞き、
世界と日本国内での情報の違いを初めて知りました。
日本を出て、日本を知ることがたくさんあったのです。
ここではそのときの内容に触れませんが、
それは日本人に大変不都合な情報でした。
流れている情報が正しい、正しくない、
これは置いといて、
不都合な情報は日本国内で流れないこと。
日本は情報が限定されていること。
メディア信者だった私は、
それはもう、雷に打たれたような衝撃でした。
今の日本で当たり前のことを疑う必要があるんだと、
そう思うきっかけには十分すぎる出来事でした。
それが情報に左右されない「自然な生活」を意識することに繋がりました。
しかし私は力を抜けない性分だった
「何事も全力で」
そう刷り込まれて育ってきた私は
自然派を意識すると決めたら「全力」でやるのでした。
不都合な情報は探せばいくらでもでてきます。
結婚前でしたが、それらに怯えて過ごした日々も少なくありません。
・原発
・食品添加物
・環境汚染
・ワクチン
・薬、病院の裏側
「あれも!これも!野菜の遺伝子操作ぁ〜!しかも種から!!」
「製薬会社と病院の癒着か・・・」「世の中のお金の流れエグ」
「この有名な食べ物、発がん性物質のかたまりやん・・・」
・・・・。
どうしたら良いんだ・・・と嘆き、
どの問題も自らの欲望が招いた結果だと、
とんでもない思い込みをはじめたり。
貧困と呼ばれる国から帰国したときは、
自分の贅沢を悪と思い込み、
修行僧のような生活を心掛けたり。
・
・
・
皆様、お気付きのように
私、影響されやすいのです(笑)
しかもですね。
影響されてから、力の抜き方が分からない。
『いい加減』ができないのです。
しかし、いつも何事も全力だと困ることが出てきました。
育児の全力は自分を崩壊する
大人になるにつれて「いつも全力」は
生きづらいことに気づき始めました。
・疲れる
・他人の目が気になる
・空気が読めない
・良好な人間関係の構築が困難
などなど。
そして極めつけはコレです。
「育児全力で自分崩壊」
第一子は、全力ではなく、超全力です。
妊娠が分かった途端、
1秒も気を抜けません。
食事に睡眠、過ごし方や考え方。
そして出産してからは
紙おむつは使用せず、布おむつ一筋。
仕方なく使うときは海外から輸入したオーガニックの紙おむつ。
など。
あー。
今書いているだけで疲れてきたよ!
\(^o^)/
そしてご想像のとおり、心身のバランスを崩しました。
一生懸命子どものためにやってきたけど、
自分が崩壊するのは何か違う気がする。
何かを変える必要があるんだけど、なんだろう。
二人目が1歳になるころ、
気付きたくなかった事実を受け入れるときがきました。
「ああそうか。私は、ズボラだったのだ」
ズボラが一生懸命やっても限界があるよね~
それが分かれば話が早い。
目指すのは100点ではなく、60点で良い。
120点のときもあるかもしれないが、
そのあとは20点でも良い。
そのあとは40点でも◎
子どもが20歳になったとき、
「子育てを採点したら?う~ん・・60点あったかなぁ~(*’▽’)」と主人と一緒に笑って話せたら幸せです。
なんせ私はズボラなのだから。