続きです。
助産院はコロナ禍でも面会制限なし
なんとですね、コロナ禍真っただ中ではありましたが面会に制限なし!いつ、誰が来てもOK。
これは同時期に産んだ知人誰に言っても驚かれましたし、面会の制限がない産院はこの時期聞いたことがありませんでした。
助産院には国から制限などの話がないそう。(緊急事態宣言が出たときは、一瞬だけ制限掛けるようにと話があったようですが、すぐ「それぞれの判断」でという形に戻ったそう)
出産2日後には実姉(39)と甥っ子(12歳)姪っ子(9歳)がきてくれました。
ちなみに、なんと、出産した赤ちゃんとこの甥っ子が同じ8月22日生まれ!しかも12年違うので干支も同じ。そしてなんと、実兄の娘(姪っ子3歳)が8月23日生まれ。
じーじとばーばが誕生日プレゼントで大変。
さて。面会の制限はないので退院まで毎日、私の母と娘がお昼と夕方に2回訪問してくれました。お弁当を持ってきていて、一緒にお昼ゴハンを食べたりすることも。
私は心配していたあのことを母に確認しました。「寝るときは大丈夫だった・・?」
二歳半の娘は夜中にも2回ほど寝ぼけて起きて、私が隣にいることを私の身体を触って確認してから、また寝る。という習慣があり、寝ているときに私がいない状況を経験したことがなかったんです。
が、フタを開けてみたらその心配は無用でした。
母「最初は、寝るときにママ〜って言ってたり、夜中も起きてママは?って聞いてきたけど、(胸を)トントンしてたら、すぐ寝たよ」
何より両親の睡眠が確保できていて安心。頼もしい娘であります。
退院の日の後悔
日曜日に出産をして、退院の金曜日までとにかく休みました。スマホも連絡のみの最低限に抑え、赤ちゃんのお世話以外はひたすら寝る。
一人目の出産後は満身創痍、身体を動かす体力どころか、目を開ける力も残っていませんでした。
二人目ももちろん疲れましたが、出産の要領が分かっているので体力の消耗が一人目と全然違う!陣痛から出産まで12時間かかりましたが、一人目の48時間に比べればもう、それは・・・、ね。(はしょるな。笑)
いよいよ退院の日。
元気いっぱいの私は、少な目の荷物を5分でまとめ、真夏を言い訳に(8月26日)部屋着のようなペラペラのワンピースで、身だしなみを最低限に母の迎えを待ちました。
母が到着。ここで車に乗る前に先生と赤ちゃん、私で写真を撮ることにしました。
何枚か写真を撮り、ブレなどを確認するため画面を見ました。そして愕然とします。
誰だ、この老け顔のおばさんは!誰だ、この笑い方がとんでもなく、ぎこちないおばさんは!誰だ!!
そう、私だ!!
陣痛が始まってから赤ちゃんのこと考えすぎて自分のことなど全く気にせずに一週間ほど過ごした結果がこれだ!なんなら、ブレてて欲しかったわ。
今でも写真を見返して思う。こんな記念の写真を撮るならせめて眉毛を書いておけばよかった・・・。
実家で2か月間お世話になる生活がスタート
無事に息子が産まれ、二人目の育児をスタートさせました。
里帰りは約2か月。健康な両親に本当に感謝です。
細かく言うと、63歳の父は超高血圧で血圧を下げる薬を飲んでいて、健康とは言い切れません。本人は「血圧が高いのは病気じゃない、普通だ。だから食事も変えない。」と言っています。
【頑固】という病気が年々ひどくなり、母を悩ませていることが最大の病です。(うまい!笑)
とはいえ、私は父にとって3番目の子ども。可愛くて仕方ないのでしょう。文句なく私の言うことを聞きます。私が「お母さんの言うことも聞いてあげてよ~」というと絶対に聞きませんが。
母は、スーパーマン。自慢の母です。
・仕事は小学校の学童で小学生を相手にするパートタイマー
・ママさんバレーを30年以上継続(4年前に25年在籍したチームを離れる)
・30代のときにはママさんバレーで全国大会まで行った
・63歳の今も週2で高校生みたいな激しめのバレーの練習をしている
・そんなバレーの練習後にカーブスで30分動き、午後仕事に行く
・週1でヨガ教室へ通う
・地域の子育てサロンで見守り係を週1回担当
・オカリナクラブに所属し、週1練習に参加 ・・・・
最近になって、「色々やりたいけど時間が足りないんだよね。何かやめなきゃいけないかな~」と言い出した。確実に私より動けるバーチャンです。
こんな動けるバーチャンになりたいなぁ、すごいなぁと日々思うのですが、唯一認めたくないことが。
それは最近、バーチャンだかジーチャンだか境目が分からないポジションにいること。あと5年くらいすれば見知らぬ子どもが「おじいちゃん」と呼びそうです(笑)
正反対の性格の両親の元で全く気を遣わない、ということはありませんが、2歳半の娘もいるし、ワイワイと楽しく2か月を過ごしました。
私は二人目で気持ち的に余裕もあるし、家事をしなくてもいい環境から、心身ともに順調に回復することができました。
予定通り名古屋の自宅に戻り、慌ただしい二人の子育ての日々が始まりました。
助産院で出産して本当によかった
息子を取り上げてくださった助産院の板東先生、先生のお手伝いの池野先生。
お二人のことは一生忘れません。今回のお産でお二人がしてくださったことに対し、全てをお返しすることは一生かけてもできません。
心からの感謝の意をお伝えいたします。本当にありがとうございました。
お二人ともお子様がいて、普段は家事育児をこなす主婦でありながら命が産まれる現場に居合わせる、少し特殊な生活をしています。尊敬以外ありません。
私は助産院で産むことができ本当に本当に良かったと思います。(病院がダメとか良いとか、そういうことではありません。)
病院も助産院も経験しているからこそ分かる助産院の良さ。
それはサポートの温かさです。
妊娠中から不安なことがあれば連絡して、相談することができます。病院の忙しい先生には「こんなこと聞いてもいいのかな・・」と躊躇するところも助産師さんなら気兼ねなく聞くことができます。
陣痛が始まると、全力でサポートしてくださいます。腰をさすったり、水を飲ませてくれたり、産婦さんの要望を何でも優しく受け入れてくださいます。
黙ってただそばにいてくれる事が辛い陣痛を乗り越える力にもなりました。何時間も何時間も寄り添い続ける辛抱強さ。それはパートナーでも難しいことです。
産後は実の母のように身の回りのお世話をしてくださいます。掃除・洗濯・食事・話し相手・そして赤ちゃんのケア。
スーパーマンはここにもいました。世の中、身近にスーパーマンだらけかもしれません!
助産院を選択肢に入れるかどうか
ここまでくると多くの方の出産場所の選択に、助産院がないのが不思議ですよね。
そう、選択肢にないだけなんです。私もそうでした。
単純に助産院の数が少ないのは承知ですが、これから出産する方で、もしお近くに助産院がある場合は出産場所の選択肢のひとつになって欲しい、そう心から願います。
物理的に許されないこともあると思います。それでも可能性があるなら一度見学だけでも行かれてはいかかでしょうか。
穏やかな気持ちで自分らしい出産を迎えたいママには自信をもって助産院をおすすめいたします。
二人目出産の話はこれで終わりです。長編、読んでくださり本当にありがとうございました。